なぜ「Education」ではなく「Growth」なのか
This note is written in Japanese.
Sorinverse の学習プロダクト群には Growth という名前をつけている。Education ではない。これは語感の選択ではなく、製品の作り方を決める区別だ。ここではその区別が何であり、何をまだ証明できていないかを書く。
三つの区別
卒業がない。
教育は「学び終わる」ことを終点に置く。カリキュラムがあり、修了があり、その先は制度の外になる。成長にはその終点がない。だから Growth の製品には「コース完了 100%」という終端状態を作らない。進捗はあるが、閉じない。
学年ではなく能力で切る。
40 歳の人が数学において中学生相当の位置にいることは、恥ずべきことではない。それは知識グラフ上の座標であって、学年ではないからだ。教育の枠組みでは、この状態は「遅れ」として扱われる。成長の枠組みでは、単に現在地として扱われる。GrowthMath が学年ではなくノード構造を採用しているのは、この区別に由来する。
外から与えられるのではなく、自分で選ぶ。
教育の入口は「あなたは何年生か」だ。成長の入口は「どんな自分になりたいか」でなければならない。Perfect Me が Sorinverse の総入口に置かれているのは、この一点のためだ。目標が能力へ、能力が場面へ、場面が製品へと分解される。順序が逆になった瞬間に、それは教育に戻る。
対象年齢について
Growth は 0 歳から 100 歳までを対象にすると宣言している。これは市場規模の主張ではなく、上の三つの区別から必然的に出てくる帰結だ。卒業がなく、学年で切らず、自分で選ぶのであれば、対象を年齢で区切る根拠がどこにもない。
ただし、宣言と実装は別のものだ。現時点で存在するのは GrowthMath ひとつであり、それは全学科・全年齢のうちの一点に過ぎない。
まだ証明できていないこと
第一に、学科をまたいで同じ構造が通用するかどうか。
知識グラフとゲートライン方式は数学で機能しているが、数学は構造化しやすい学科だ。言語や身体的技能で同じ形が成立する保証はない。これは GrowthPhysics または GrowthEnglish を作るまで分からない。
第二に、「卒業がない」ことが動機を保つのか、それとも失わせるのか。
終端がないことは自由であると同時に、達成感の欠如でもありうる。教育が修了証を発行してきたのには理由がある。この点については現時点で仮説しか持っていない。
第三に、年齢の両端が本当に同じ思想で扱えるのか。
0 歳児と 80 歳の学習は、動機も制約も認知の形も異なる。同じ枠組みで扱えるという主張は、まだ検証されていない。
この記事の位置づけ
Growth は現在、ブランドの物語であって開発計画ではない。物語が製品に先行すること自体は問題ではないが、先行しすぎれば空語になる。ここに書いた三つの区別は、次の学科を作るときに自分自身を検証するための基準として置いておく。
次回は S-Cube 記憶構造について書く予定。